患者の生きる意味の多様性を解釈するツールとしてのA1c目標値

「先生、A1cはどこまで下げればイイのですか?」にどう答えれば良いのだろうか?新しい血糖管理目標「6・7・8方式」の実際の運用について、認識論、意味論からまじめに考察してみた。

■はじめに
最近、あるMRさんから「私が訪問している開業医の先生から、A1cがいくつになったら投薬を開始したら良いのか?という質問を受けたのですが・・・」という質問をされた。この質問に対して、形式的に回答するなら、「日本糖尿病対策推進会議編『糖尿病治療のエッセンス』、あるいは日本糖尿病学会編『糖尿病治療ガイド2012-2013 血糖コントロール目標改訂版』を参照して下さい」と答えるのが無難ではないかと思う。しかし、実臨床に即して答えるとなると、この質問に対する回答はかなり難しい。そこで、週末を使って、この素朴な疑問について、考えをめぐらせてみた。

■A1cの目標値を決めることは実はとても難しい
外来診療の場でもしばしば患者さんから同様の質問を受けることがある。「先生、A1cはどこまで下げれば良いのでしょうか?」と。実は、こういうシンプルな質問に答えることが一番難しい。第1、とても素朴な疑問として思うことは、「A1cの目標値を幾つ以下にしなさい」と、他人から、特に医療者から言われることは当事者にとって、とても心外なのではないか?ということだ。だから、僕はいつもこう答えることにしている。「それは、とても難しい問題ですね。それで、あなたはどれくらいを目指したいですか?」と。僕は、A1cの目標値こそ、患者に決めさせるべきだと思っている。医師の役割は患者がその大切な決定を行えるように十分な情報提供を与えることだと考えている。

日本糖尿病学会の新しい診療ガイドラインでは「6・7・8方式」が採用された。つまり、完全な血糖正常化を求めるなら<6%、細小血管障害を予防したいなら<7%、そして血糖降下療法が困難な病態なら<8%をめざせば良いという考え方だ。それじゃ、あなたは<6%をめざしますか?あるいは<7%ですか、はたまた<8%でも良いだろうと考えますか?こう考えると、これは究極の人生の選択のようにも思われる。高い目標をめざせばめざすほど、支払う人生の代価は大きくなる。食生活に関する忍耐、食費、食事にかける時間や労力、仕事との両立、治療費の増加、さらに医薬品の副作用を強く懸念する人々にとっては、薬を開始すること自体に伴う不安を克服しなければならないだろう。こんな難しいテーマに関わる質問に対して、そう簡単に答えられるはずもない!

■人それぞれに対する答え方があるのではないか
僕はいつもこうした質問を受けると、深く溜息をつきながら、こう答える。「それはとても難しい質問で、簡単に答えることができません。健康を最優先し、食生活の質を大切に考え、ある程度の治療コストは構わないという人には、A1c<6%を勧めます。健康は何よりも大切と考えているし、そのためには食の美味しさにはこだわらない。いや、むしろ、血糖値を上昇させるあらゆる食品を制限することも厭わないと思っている人にも、A1c<6%を勧めたい。でも健康はとても大切だけれど、薬に頼って生きることは絶対嫌だという人には<7%でも良いのではないかとアドバイスするかも知れません。健康はもちろん大切だけれど、自分にはもっともっと大切で、人生をかけて打ち込みたい仕事がある。もちろん、仕事上で出会う人々との付き合いも大切に思っている人(糖尿病自己管理のために50%以上のエネルギーをかける気持はないという人)にはA1c<7〜7.5%を勧めるかも知れません」。でも、その人が実際にできること、できないことを勘案すると、現実的には 6〜7%に入れば良いのではないかと言っているような気もする。
これ以外に、高齢者(高齢者の定義も難しい問題だが・・)、高度肥満者、患者の自己管理能力などの要因まで含めると、ますますA1cの目標値を決めることは難しくなってくる。

■A1c<7%を維持することの“個人的な意味”が重要になる
ここで忘れてはいけないことがある。それは「糖尿病は、患者自身が管理していく病気である」ということだ。つまり、治療者がA1c<7%を求めたとしても、A1c<7%を維持していくことが、患者の人生において、“意味のあること”であるかどうか!ということだ。ここで言う“意味がある”とは、あくまで認識論的な意味である。「健康であることは大切である」といった専門家の言説を前提としていない。ここに至って、A1cの目標値をめぐる議論は『意味論』の世界に入っていくことになる。すなわち、『ナラティヴ・ターン』である。この世界では、患者がA1c<7%を維持することが大切なことであると感じられるかどうか、さらにA1c<6%を達成することが必要だと感じられるかどうか?がもっとも重要なテーマとなる。だから、僕はいつも「A1cはどこまで下げれば良いですか?」という患者さんの質問に簡単に答えることができないのだ。それに答えるためには、半日くらいかけて、静かな音楽が流れるカフェで、その人の生き方や人生についてしっかり聴きながら、患者が自発的に自分のA1c目標値を決められるように導きたいからだ。患者は医師との対話を通じて、自らのこれからの人生に健康が果たす役割の重みづけをすることができる。そして、その結果が「A1cの目標値」として表明されるのではないだろうか?僕は、A1c目標値にそのような意味付けをしている。健康の人生に果たす重みづけは人さまざまである。こうした対話を成立させるためには、医師は「健康のもつ意味を相対化する」必要がある。誰でも健康を最優先するべきだと考えるのは、医療者の横暴というものだ。

■結びの言葉
「あ〜、めんどくさい事を言ってらぁ」と笑う沢山の医師の声が聞こえてきそうだ。そう、ナラティヴって、本当に面倒なのだ!でも、そういう細かい、微妙なことが気になってしまう性分なのだ。これがナラティヴ・アプローチを指向する人間の性(さが)なのだ。きっと臨床疫学(EBM)に親和性の強いOS(オペレーション・システム)とナラティヴ・アプローチ(NBM)に親和性が強いOSとがあるのだ。僕はこのような星の下に生まれてしまった自らの運命に逆らうことなく、素直に愚直に生きていく他ないのだ。ナラティヴ・アプローチを学び始めた頃、僕は、臨床心理士と医師の間に立って両者を繋ぐというポジショニングだろうと考えていた(実際はもっともっと複雑なのだが・・)。しかし、臨床心理士と一口に言っても、質的心理学を指向する人と精神分析系の人とプラクティカルで合理的であることを重視する認知行動療法を指向する人(患者心理を追求する医療者にもっとも多いスタンスです!)とは、心理士といっても随分と異なる。そんな訳で、これからも僕は、躓き、悩み、行きつ戻りつしながら、この面倒な世界を探求していきたいと思う。

 

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