カーボカウントと糖質制限食の異同

東京衛生病院の母体であるセブンスデー・アドベンチストキリスト教会が提供する健康支援ラジオ番組で「カーボカウント」を取り上げることになって、担当者から4つの質問に対する回答を依頼されました。回答しながら、あらためて「カーボカウント」と「糖質制限食」の異同について整理してみたので、以下にご紹介したいと思います。

Q1 カーボカウントってどのようなことをするのですか?

一般に普及している食事管理法はカロリー制限食ですが、実は日本では「高カロリー=高血糖」というのは大きな誤解であるということが意外と知られていません。患者さんが主体的に血糖値を上げずに自分らしい食事を楽しむためにはまずこの『高カロリー神話』から自由になることが必要なのです。カーボカウントとは「食事に含まれる炭水化物摂取量で食後血糖値が決まる」ことを利用して、1食の炭水化物量を管理する食事管理法(標準的には1日の総カロリーの50〜60%、200〜300g/日程度)で、1994年以降、米国では糖尿病の標準的な食事管理法として推奨されています。

Q2 カーボカウントの利点はなんですか?

利点は「実践が簡単であること」、「食事計画がとても柔軟で、外食にも対応しやすいこと」などが挙げられます。日本では長年日本糖尿病学会が発行した「食品交換表」に基づく指導が行われてきました。この方法は1単位=80kcalを基本としたカロリー制限指導で、すべての食品を6つの群に分類して、毎食カロリーだけではなく、栄養バランスにも配慮した食事を推奨しています。こうした食事管理法は「治療食」としては理想かも知れませんが、食事が持つ文化的な営みを考えると、ひどく窮屈であり、食の喜びを損なう指導法でした。カーボカウントはカロリーや栄養バランスの制約がないことから、食品交換表に代わる食事管理法として期待されており、2017年にはようやく『カーボカウントの手引き』が日本糖尿病学会からも発行されました。

Q3 カーボカウントの欠点はありますか?

カロリー制限食指導をしている専門家からしばしば聞かれる批判としては、カーボカウントは糖質にばかり目が行き、カロリーや栄養バランスが疎かになるので、食べ過ぎて肥満する危険があるというものです。しかしカーボカウントは1日の炭水化物摂取量と1食の炭水化物量を決め、その範囲で食事を楽しむことを奨励しますが、他の食事管理法と同じように体重や採血結果も注意深く参照します。私の個人的な経験から言えば、減量効果、血糖改善効果のどちらにおいても、カロリー制限食よりもはるかに効果的ですその理由はカーボカウントは患者さんの食事管理に対する主体性を尊重するので、患者さんの食事管理の実効性が高まるためだと考えています。一般的なカロリー制限指導がたくさんのルールを課して、患者さんにその遵守を求める専門家中心の指導法であるとすれば、私の考えるカーボカウントは食事の炭水化物量に着目しながら、患者さんに自主的に食事を楽しんでもらうことをめざす患者中心の指導法です。皆さんはどちらが良いと思いますか?どちらも優れた食事管理法ですが、なによりも自分のライフスタイルや健康信念に合った食事管理法を選ぶことが大切だと思います。

Q4 カーボカウントをする上で気をつける点などはありますか?

日本では長年「食品交換表」に基づく指導を標準的な指導法として奨励してきたため、一般的に食事指導のスタンスが「病気中心」で、生活者の視点に乏しく、とても狭量でした。こうした専門家によるカロリー制限食指導に対する不満の受け皿として登場したのが『糖質制限食』という食事管理法です。糖質制限食は専門家による食事支配から逃れて自立したいと願っていた多くの患者さんたちに受け入れられ、熱狂的に広まりました。糖質制限食は三大栄養素のうち、血糖上昇に深く関わる糖質を含む穀類、果物、菓子類などの摂取を制限する(130g/日以下がもっとも広く普及)ものです。糖質制限食には「短期間の減量達成」「血糖改善効果」などの利点がありますが、おかずばかりの食事となるので、脂肪や塩分過多、食費がかかるなどの欠点の他、友人・知人と食事体験を共有することが難しいことから社会的孤立化を招きやすいという指摘もあります。また糖質という栄養素を“高血糖を招く悪魔的な存在”として紹介する書物やネット記事の影響を受けて、“糖質恐怖症”“グルコーススパイク恐怖症”とも言える人たちを生み出しました。このように糖質制限食は患者さんひとり一人の希望に合わせて、最適な炭水化物摂取量を決めて、患者さんの主体的な食事管理を支援するカーボカウントとは異なります糖質制限食は痩せすぎ体型の方や腎機能が悪い方、食のハビトゥスが脆弱な方には推奨できませんが、高度肥満者や糖質制限食が自身の健康信念に合っていて、糖尿病薬を服用したくないという方には適応があると思います。但し、万人に適した食事管理法とは言えないので注意が必要です。私は「ダイエット目的に行う糖質制限食」は気軽に始めていただいても良いと思いますが、糖尿病を患う方が糖質制限食を始めるかどうかについては自分に適した食事管理法であるかどうか、専門家と相談していただくことをお勧めします。

*食のハビトゥス
ピエール・ビルドュによって提唱された概念。ウィキペディアによると「人々の日常経験において蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向」とある。

あなたの「美味しい」と健康を支援する糖尿病食事指導

■「僕はたとえ糖尿病であっても美味しい食事を続けて欲しいと思っているので、カロリー制限という考え方が嫌いです」

カロリーや栄養バランスに縛られず、糖尿病患者さんの「美味しい」と健康を支援したい。それは僕が昔からずっと考えていたことでした。1993年、1型糖尿病患者さんを対象としたDCCT研究で、強化治療群の患者さんの食事指導にカーボカウントが採用され、その有効性が世界ではじめて証明されました。その報告を知ったとき、僕は「これまでずっと糖尿病患者さんを苦しめてきたカロリー制限という呪縛からようやく患者さんを解放することができる」と小躍りしました。このコラムでは日本ではなかなか普及しない基礎カーボカウントを活用して、2型糖尿病患者さんの「美味しい」と血糖管理の両立をめざした食事指導の実際について解説したいと思います。

■まず「基礎カーボカウント」をマスターする

僕の糖尿病食事指導に対する信念は「患者さんの『自己決定』を尊重し、実行可能な食事計画を立てること」です。このため「患者さんの嗜好、食文化に合っていて、長く続けられる食事管理法を、患者さんと協力して決めること」にこだわっています。患者さんの価値観を大切にするためにはまず医師自身が自分の価値観を患者さんに表明することが大切だと考えています。そこで、例えばいかにもカロリー制限という呪縛に囚われているように見える患者さんには思い切って「僕はたとえ糖尿病であっても患者さんには美味しい食事を続けて欲しいと思っていますので、普通の医師と違って『カロリー制限』という考え方が嫌いなんです。だから、もしもあなたが『俺はカロリー制限でなきゃイヤだ』という考えの持ち主なら、他の医師にかかることをお勧めします」と伝えてみます。そんなとき、多くの患者さんがホッとした笑顔を見せてくれます。こうした僕の方針にとって欠かせない食事指導法が『基礎カーボカウント法』です。米国では1994年以降、基礎カーボカウント法が糖尿病患者に対する標準的な食事管理法として推奨されています。ところが日本では不思議なことに『基礎カーボカウント法』がなかなか採用されず、カロリー制限食という指導法を長年推奨してきたという歴史があります。

それでは以下に『基礎カーボカウント指導』の要点を説明します。日本で流行している糖質制限食とはまったく異なるので、誤解しないように注意して下さいね。
① まず3大栄養素である炭水化物、たんぱく質、脂質がそれぞれ血糖値にどのように影響するのかを詳しく説明します。
② 食後血糖値は主にその食事に含まれる炭水化物量で決まることを説明します。
③ このとき同時に高脂肪食(天麩羅、ミックスフライなど)では食後高血糖が遷延するので、食後血糖値を制御する基礎カーボカウント法の効果が現れにくいことも説明します。
④ 次にプレート法を用いて、栄養バランスについて説明します。
⑤ そして、1日のカロリーと炭水化物量を示し、1食に摂る炭水化物量を示します。
⑥ 続いて「炭水化物早見表」を渡して、主な食品の炭水化物量を示し、その患者さんの主食量を具体的に示します。
⑦ 最後に「糖質制限食」との違いを説明します。
糖質制限食は血糖値が上がらないように炭水化物摂取量を1日130g未満まで制限し、カロリーや脂質、たんぱく質の摂取量には一切規定がありません。これに対して、基礎カーボカウントは1日に摂る総カロリーとそれに占める炭水化物比率を示したうえで、「1食に食べる炭水化物量を一定にし、1日の炭水化物摂取量を守ること」です。つまり、1食の炭水化物摂取量を固定(Fix)することであり、制限することを求めません。
カロリー計算を求めない
僕は基礎カーボカウント指導の際、患者さんに「カロリー計算」を求めません。その理由はカロリー計算とカーボカウントを同時に行うことは非常に煩雑で、実践が容易という基礎カーボカウントのメリットが損なわれること、さらに実際のところ、1食に摂る炭水化物量を固定し、1日の炭水化物摂取量を定める基礎カーボカウントではカロリー計算をしなくても、カロリーオーバーで失敗する人は少ないという理由によります。

<指導例>
もっとも標準的な指導は1日2000kcal、炭水化物50%(250g/日)で、もしも患者さんが1日1回おやつを食べたいという希望を持っている場合は
朝食70g、昼食80g、スナック30g、夕食70g
もしも、1日2回おやつを食べる習慣を持っている患者さんなら、以下の様になります。
朝食70g、スナック 20g、昼食 70g、スナック20g、夕食 70g

患者さんは基礎カーボカウントを守りながら、その中で自分らしい食生活の実践に努力します。しかし、中にはもう少しご飯など炭水化物をたくさん食べたいという人もいます。そんなときには1日の炭水化物量と1食の炭水化物量を変更し、それに合わせて、食後血糖値を下げる薬を調整することで、患者さんの食べたい食事と血糖管理の両立を図ります。

■基礎カーボカウントをマスターしたら、薬物療法最適化プログラムで処方の最適化を図る

多くの患者さんは基礎カーボカウントをマスターすることで良好な血糖管理を手に入れることができます。しかし、中には基礎カーボカウントをマスターしても、なかなか希望するような血糖管理が得られない患者さんがいます。特に罹病期間が長い患者さんでは「インスリン分泌低下」、「インスリン抵抗性」、「不規則な生活」などが複雑に絡み合って、なかなか良好な血糖管理を実現できません。そんなとき、その患者さんに最適な薬物療法を見つける方法が『薬物療法最適化プログラム』(図)です。

『薬物療法最適化プログラム』とは3日間・計9食の食事記録から血糖パターンを明らかにして、その患者さんに最適な処方を見つける方法です。患者さんは食事記録と血糖測定記録をもって来院し、管理栄養士の指導を受けます。管理栄養士は1食の炭水化物摂取量と1日の炭水化物摂取量が守られているかどうかを確認し、食事に由来する高血糖(糖質過剰摂取)や低血糖(糖質摂取不足)があれば、その是正のためのアドバイスを行います。このように患者さんは毎回、基礎カーボカウントができるようになるまで、管理栄養士による指導を受けます。そして食事に由来する高血糖や低血糖がみられなくなったら、医師はいよいよ「血糖パターン管理に基づく処方最適化」へ進むことができる訳です。

■あなたは食前高血糖型、それとも食後高血糖型?

3日間9食の食事記録と自己血糖測定(1日7回×3日間)の結果から血糖パターン、すなわち「空腹時高血糖型(食前高血糖型)」と「食後高血糖型」を把握します(図1)。

以下のケース(図2-A)は一定の血糖パターンを呈していないので「混合型」と呼びます。これは患者さんが食前血糖値を見て、高ければ糖質を制限し、低ければ爆食している結果です。このような患者さんが「基礎カーボカウント」をマスターすると、まったく別人のような血糖パターンを呈することがあります(図2-B)。このように基礎カーボカウントは血糖値の秩序を回復させ、その患者さんに最適な処方が何かを明らかにしてくれるツールであることが分かります。

■血糖パターンによる薬物療法最適化の実際

すべての薬剤は「主に食前血糖値を改善する薬剤」「主に食後血糖値を改善する薬剤」に分類することができます(図3-A)。本プログラムは得られた血糖パターンに基づいて、その患者に最適な薬剤を決定するツールです。血糖パターンで表されることで、複雑と思われた患者の病態が見事なまでに単純化できることが分かります。

図3-Bに最適化の方法を示します。「空腹時(食前)高血糖型」であれば、空腹時血糖値改善薬のリストの中から、「食後高血糖型」であれば、食後血糖値改善薬のリストの中から選択します。図のような「薬剤一覧表」を患者さんに見せながら、それぞれの薬剤に関する情報を与えて、可能な限り患者さんが自分の頭で考えて、自分に最適な薬剤を選べるように支援します(決定共有アプローチ)

このプログラムを実行することで、これまで食前血糖値改善薬しか処方していなかった患者さんの血糖パターンが実は「食後高血糖型」を呈することが判明し、医師が自らの処方の誤りに気づくこともあるので、医師にとっても教育的なツールと言えます。

■治療チームが『基礎カーボカウントの意義』と『決定共有アプローチ』というスタンスを共有する

薬物療法最適化プログラムは、患者さん個人の食生活や価値観などを尊重し、実行可能な食事指導をめざす基礎カーボカウントとセットで行うことで、薬物療法を最適化するツールです。その実践には糖尿病治療チーム全員が『基礎カーボカウントの意義』と『決定共有アプローチ』というスタンスを共有していることが求められます。

皆さんもやってみませんか?

良い栄養指導は患者と栄養士の活発な相互作用から生まれる

■「嬉しくなる報告書」と「辛くなる報告書」

最近、紹介先の病院の「栄養指導報告書」を目にする機会がありました。読みながら、残念だなぁと思うところがあったので書いてみます。
栄養指導報告書にはそれを書いた管理栄養士の『視点』が表れます。『視点』というのは「医療者の視点」から書いているのか、「当事者の視点」から書いているのかということです。
医療者の視点、言い換えると「医学的な視点」から書かれた栄養指導報告書の特徴は、
「できなかったこと」が繰り返し強調される。
②「努力したこと」「できたこと」についての記述が少ない。
③したがって、読んでいる僕まで叱られているようで辛い気持ちになります。

一方、当事者の視点、言い換えると「生活者の視点」から書かれた報告書の特徴は、
「できたこと」「努力したこと」がたくさん羅列されています。
患者の努力を喜んでいる管理栄養士の想いが溢れています。
③できなかったことについても「きっと改善してくれる筈」という栄養士の期待感が表明されています。
④したがって、読んでいる僕も嬉しく誇らしくなります。

■この2つの違いはどうして生まれるのか?

医療者の視点から書いている管理栄養士は「正しい知識を教えるのが専門職の役割」と考えているのかも知れません。だから、無意識のうちに「専門職−患者関係」が上下関係になっていることに気づきません。だからどうしても一方通行の指導となりがちです。一方、「当事者の視点」から書いている管理栄養士は「互いに協力し合いながら患者を支援するのが専門職の役割」と考えているのでしょう。だから、自然と活発な情報交換が生まれます。こうした管理栄養士による報告書を読むと、読み手が嬉しくなる理由はおそらく、そこに「管理栄養士と患者の相互作用が働かなければ生まれなかったであろう何か」が含まれているからではないかと思います。

僕は、患者さんが努力したこと、できたことをたくさん見つけて、それを嬉しそうに報告してくれるレポートを読むのが好きです。

ダイエット目的の糖質制限食と糖尿病治療としての糖質制限食の違いに注意が必要!

糖質制限食に関しては、ネット文化としても浸透しており、ダイエット志向の人に受け入れられ、体重減少効果が早いといった恩恵があります。しかし、糖尿病をもった患者さんが糖質制限食を取り入れる際にはさまざまな注意が必要になります。第1に糖尿病薬を服用せずに血糖値を正常化するためには厳格な糖質制限が求められます。それに耐えられるかどうかを見極める必要があります。さらに糖質を悪魔のような存在と捉えたり、食後高血糖を極端に危険なものとして捉え、読者に恐怖感を与えるようなネット記事や本にも注意が必要です。さらに糖質制限食の有効性を示す論文ばかりを示して、糖質制限食以外の食事療法を否定するような記述にも注意が必要です。こうした糖質を極端に制限する食事管理法は一部の人には適していても、その実践には多くの犠牲を伴うことから、自分に合うかどうかを見極めることが大切です。食事は私たちの幸福の礎ともなる大切な文化的な営みです。常に「自分らしい食とは何か」を忘れないで欲しいと思います。
ある患者さんは次のように語って下さいました。
「糖質制限」という世界に一歩足を踏み入れてしまうと、そこに存在する理論にまずは自分の今までの『食』はすべて否定されてしまいます。ものすごいショックでした。

最後に最近のtwitterへの投稿をご紹介します。

栄養を摂ることと食べることの違い
食べるという時、それは医学的な側面だけでなく、文化的な側面を含みます。食文化は長い年月をかけて培われたものですし、人と人を繋ぎ、幸福に欠かせない役割を担っています。何より食べることは心が喜ぶものでなければなりません。

でも近年「栄養を摂ること」の意味が肥大化して、食べることの文化的な意味が損なわれてきているような気がしています。その結果、健康になりたいのに幸福になれない人たちが増えています。

僕は病気を持つ人が食の持つ大切な役割を見失わないように、『健康と食の気持ち良い関係』を保つことが出来るように支援していきたいと思っています。

生物医学的な側面ばかりを強調する食事情報には注意が必要

日本には古くから“お任せ医療”と呼ばれる文化がありました。それは、患者は医学的なことは分からないから、治療を医者に丸投げしてしまうことを指します。しかし、近年 インフォームド・コンセント(説明と同意)の普及や患者の権利意識の向上によって、日本の医療は大きく変わりつつあります。特に毎日の食事管理や運動によって血糖管理、体重管理が患者に委ねられている糖尿病治療では「医師が患者を管理し、すべてを決定する」という伝統的な診療スタイルから「患者が糖尿病を管理する。それ故、医師は患者を支援し、すべての決定を患者と共有する」という患者中心医療へシフトすることが必要です。近年、米国糖尿病学会/欧州糖尿病学会は毎年発表する声明の中で「患者中心医療」の重要性を強調しています。しかし、日本にはまだまだ「医者が患者を管理する」という伝統的な診療スタイルが根強く残っていて、その結果、医師から「カロリー制限」や「糖質制限」を強いられて、苦しんでいる患者さんがたくさんいます。

1990年代から世界の医療は大きく変わりました。それは医師の主観や経験だけでなく、臨床疫学研究に基づく根拠に基づいて医療を行おうとする取り組みで、根拠に基づく医療(Evidence Based Medicine:EBM)と呼ばれています。そして、実はこうした根拠に基づく医療が皮肉にも、医師が患者を管理しようとする医師中心主義の診療実践の理論的根拠となっているのです。しかし、EBM提唱者たちの本来の定義をみると「患者の希望に基づいて、現在得られる最良の根拠を、良心的に思慮深く用いること」と記載されています。現在の食事療法に纏わる論争は「患者がどのような食事を望んでいるか」という大切な前提が無視された“患者不在の論争”が繰り広げられているようで残念でなりません。糖質制限食が良いか、エネルギー制限食かという議論と平行して、さまざまな糖尿病患者の食文化、ライフスタイルに対して、こうしたエビデンスを如何にして食事指導に活用していったら良いか?についての議論を重ねていく。そして患者が食事に何を望んでいるのか?から始まる議論が求められています。こうした目的にもっとも適した実践方法が僕が力を入れている「基礎カーボカウント法」という食事管理法です。

私の知る限り、もっとも冷静で説得力のある糖質制限食批評

文化人類学者である磯野真穂さんの記事を紹介します。私の知る限り、もっとも冷静で説得力のある糖質制限食批評だと思います。

インターネットが普及し、アマゾン、グーグルといった企業が誕生し、ウェブ社会隆盛の時代を迎えました。『ウェブ進化論』などという本も出版され、「チープ革命」とか「総表現社会」などといった言葉が生まれ、私たちはみんな「リアル社会」の一員として生きながら、同時に「ウェブ社会」にも暮らすようになりました。そして今や「ウェブ社会」の影響はドンドン拡大し、「ウェブ社会」の光と影が見え隠れする時代を迎えています。

そんな中、糖尿病食事療法のひとつとして紹介された「糖質制限食」がウェブ社会の波に乗って、巨大化し、ビジネスまで巻き込み、糖尿病を持たない人々の暮らしにまで、大きな影響力を発揮するようになってきています。

著者 磯野真穂さんは文化人類学者の立場から、今糖尿病臨床の世界で大きな論争を巻き起こしている「糖質制限食」に対して、小気味よい批評を展開しています。

著者の言説は、私たち専門家と呼ばれる人間が、いくつかのエビデンスを繋ぎ合わせて、自らの“物語”を紡いでいくとき、自らの主張も“ひとつの物語に過ぎない”と客観視する複眼的視点を持つべきであるということを強く警告しています(と、私は受け止めました)。サブタイトルにある「科学らしく見えるものの危うさ」が言い得て妙です。

トランプ大統領の登場、英国のEUからの離脱という予想外の展開を表す言葉として、ポスト・トゥルース(Post-Truth)という言葉が生まれたのは記憶に新しいと思いますが、著者が「我が国における糖質制限食の影響力」を『ポスト・トゥルース』という言葉で表現したことはまさに至言と言えます。

記事の最後に、著者は次の言葉で締めくくっています。

食は、人間の生き方や価値観、さらには環境との共生の在り方までが映し出される複合的なものである。人間の食のあり方を科学の言葉に還元し、そこからのみ絶対善を語ることは、そもそも人間の食の本質をないがしろにしているとは言えまいか。

すべての医療専門職と1人でも多くの一般の方々に是非読んでいただきたいと思います。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52704

糖質制限食をめぐる議論への違和感

二項対立的な議論でよいのか  

筆者は、Medical Tribune(ウェブ版)がこれまで山田悟氏による糖質制限食の話題を一貫して積極的に取 り上げてきたことに注目してきました。山田氏の文献レビューは、既存の定説に対する卓越した視点に基づ く歯切れの良い主張で、いつも大変興味深く拝読しています。糖質制限食に関する最新の知見を紹介してきた ことで、エネルギー制限食を中核とするわが国の硬直化した食事指導の在り方を見直す機運が高まり、つい に2013年3月、日本糖尿病学会から「日本人の糖尿病の食事療法に関する日本糖尿病学会の提言~糖尿病に おける食事療法の現状と課題~」が発表されるに至りました。

これはわが国の食事療法における重要な一歩であり、「糖質制限食 vs. エネルギー制限食」という議論が もたらした成果であり、Medical Tribuneの山田悟氏の連載がこれに貢献したと評価しています。しかし、食事療法のエビデンスに関する二項対立的な議論が加熱した結果、負の側面も生まれています。それは、食事療 法はエビデンスよりも患者の食の嗜好やライフスタイルを尊重することが重要であるという患者の視点が置 き去りにされたまま、互いを批判し合う”白か黒かの議論”となったことです。

筆者の周囲でも「あなたはエネルギー制限派、それとも糖質制限派?」といった二者択一的な議論がもて はやされていました。糖尿病診療の現場にいる一臨床家として、それはとても残念なことでした。ほとんど の患者はエネルギー制限食も糖質制限食も望んでいないという現実を踏まえ、これからの食事療法に関する 報道はエビデンスだけではなく、もっと患者中心の視点からも行われる必要性があると思います。二項対立的 議論ばかりが報道された結果、一般の読者に混乱を招いています。食事療法のエビデンスを追求するのが研究 者の立場であるとすれば、患者の自己決定やQOLを重視するのが臨床家の立場です。食事療法に関する報道 は、こうした臨床の現場にも配慮して欲しいと思います。

患者中心アプローチ、治療の個別化という大きな流れ

2012年の米国糖尿病学会(ADA)/欧州糖尿病学会(EASD)の意見表明(Diabetes Care 2012;35:1364-1379)では、「患者中心アプローチ」「決定共有アプローチ」という言葉が何度も繰り返 されました。そして、患者中心アプローチは「個々の患者の選択、ニーズと価値を尊重し、それらに敏感で あること」「患者の価値観に基づいて、すべての臨床決定がなされることを保証すること」と定義され、患 者と決定を共有することの重要性を強調しています。その目的はそれぞれの患者の病態、自己管理能力、動機 付けの高さ、ライフスタイル、価値観、社会的リソースなどに配慮して治療の個別化を推進していくことに あります。

食事療法こそ決定共有アプローチが不可欠

2013年の糖尿病食事療法の勧告(Diabetes Care 2013;36:3821-3842)では「個人の好み、文化背 景、生活習慣、治療目標など、糖尿病患者の背景はさまざまなので、個々の患者に合わせて食事指導を行う べきである」とし、「 “このやり方が正しい”と限定するだけの科学的な根拠は不足しているので、重要なこ とは患者の食習慣や嗜好など、患者の生活スタイルに適合していて、長く続けられる食事指導を行うことで ある」としています。

決定共有アプローチというプロセスを重視した診療をめざした場合、エネルギー制限食や糖質制限食を導 入できる患者は極めて少数であることが分かります。なぜなら、ほとんどの患者はこうした食事管理法を望ん でいないからです。

医療における2つのスタンス   医療には2つのスタンスがあります。1つは伝統的な診療スタイルである「コントロール理論」であり、 もう1つは「自己決定理論」です(表、クリックで拡大)。

 

コントロール理論では「医師が患者を管理する」と考えます。それ故、最終的な決定者は常に医師であり、 患者は常に医師の指示を遵守できるかどうかが問われます。これに対して、自己決定理論では「患者が糖尿病 を管理する」と考えられるので、最終決定者は医師の協力を得た患者となります。

つまり、エビデンスを重視する医療がコントロール理論に立脚して患者に遵守を求めがちであるのに対 し、患者中心アプローチはインフォームド・チョイスに基づいた決定共有を大切にするアプローチであるこ とがご理解いただけると思います。エネルギー制限食 vs. 糖質制限食という二項対立的議論がもたらした最大 の弊害は、エネルギー制限や脂質制限といった従来の食事管理法を強く否定し、あるいはSU薬、DPP-4阻害 薬といった薬物療法まで強く否定して、糖質制限を強要する医療者を一部に生み出したことです。糖尿病の病 態の不均質性や、現実の多義性を全く理解せずに糖質制限を強要する糖質制限原理主義は、排除されなけれ ばならないと感じています。

患者中心アプローチの実践ツールとしての基礎カーボカウント

ここからの筆者の主張はコントロール理論に立脚した食事療法の議論ではなく、決定共有アプローチとい う視点から食事療法について提言をすることです。わが国の食事療法にはエネルギー制限食と糖質制限食の2 つしか選択肢が存在しません。それは食事療法に関する研究が、主に食事摂取量や三大栄養素比率に焦点を 当てて行われてきたからです。しかし、リアルワールドで最も重要なことは患者中心の視点に立って、食事療 法の個別化を推進していくことであるという点に異論を唱える人はいないはずです。ADAの食事療法の勧告 (Diabetes Care 2014;37:S1204-S1213)には「炭水化物比率は患者の食生活内容や嗜好に合わせて患 者と協力しながら目標を決めていくべきであること」、さらに「炭水化物摂取量をモニタリングすることは 血糖管理を達成する重要な方法である」ということが明記されています。

これは、これまでの食生活の内容(エネルギー摂取量や炭水化物比率)や患者の自己管理能力を正確に評

価し、患者にさまざまなオプションを提示しながら、患者にとって実行可能な食事計画を立てることを意味

しています。決定共有アプローチとはこうしたプロセスを踏むことであり、『基礎カーボカウント』はまさに

このような実践に最適な食事管理法と言えます(図、クリックで拡大)

2016年10月20日、Medical Tribune誌へ寄稿したものです。

基礎カーボカウントとPatient-Centered Approach

基礎カーボカウントとPatient-Centered Approach
〜基礎カーボカウントは患者中心アプローチをめざすあなたの強い味方〜

8月に依頼されています基調講演のタイトルと抄録を書きましたので、ご紹介させて頂きます。

【抄録】
ACCORD試験以降、ADA/EASDの意見表明にPatient-Centered Approachの概念が導入されて以来、その重要性が広く認識されるようになった。Patient-Centered Approachとは「個々の患者の選択、ニーズと価値を尊重し、それらに敏感であること、そして患者の価値観に基づいて、すべての臨床決定がなされることを保証すること」と定義されている。食事療法だけで治すという立場で議論すると「糖質制限」「カロリー制限」の信念対立が生まれる。しかし、患者中心主義に立って、薬物療法最適化プログラムを活用すれば、食事はもっと自由で楽しいものになる。演者はPatient-Centered Approachの立場に立ち、血糖パターン管理に基礎カーボカウントを活用することで、食事における患者中心主義と薬物療法における患者中心主義の両立を図る実践を続けている。演者にとって、基礎カーボカウントは薬物療法の一部なのである。当日は演者の考えるPatient-Centered Approachの実践をご紹介したい。

患者さんを真ん中に置いて考えると食事指導はもっと柔軟で楽しくなる

■医療における「本質主義 vs 構築主義」の対立

医療におけるもっとも厄介な問題は「本質主義 vs 構築主義」の対立ではないかと思います。この2つのスタンスは思考様式、つまりPCで言えばOSのようなものなので、話し合っても理解し合うことが極めて難しい相違です。だから、厄介なのです。

本質主義(構造主義)とは

「この世界にはすべてに当てはまる法則なり構造がある。つまり、正解はひとつだけである」という考え方であり、

構築主義(構成主義)とは

「社会に存在する事実や実体は人々の感情や意識の中で創りあげられたものであり、それを離れて存在しない」とする社会学の立場で、分かりやすく言えば、答えは1つだけではなく、観点を変えれば、いくつも正解は存在するという考え方です。

そして、医療者にはときどき筋金入りの「本質主義者」がいます。エビデンス、臨床疫学にもの凄く厳格な先生の中にときどき「ガリガリの本質主義者」がいて、物事は「白か黒か」、「正しいか、誤りか?」という考え方をします。特にバリバリの糖質制限食主義者、バリバリの食品交換表主義者の中には「本質主義者」が多いように思います。

■「エビデンス中心」から「患者中心」へ

糖質制限食のエビデンスに心酔して、誰でも彼でも、血糖管理不良の患者さんに糖質制限食指導をする先生も結構いますよね。でも、そういう指導法は少なくとも「患者中心主義」であるとは思えません。それは「エビデンス中心主義」です。エビデンス中心主義」を「患者中心主義」と勘違いしている人は以外に多いです。これは2月2日の『患者中心主義とは、どう患者と向き合うことなのか?』の中でも述べたように「コントロール理論」というスタンスを持っている医療者が多いからだと思います。

また同様に、血糖管理不良の患者さんには誰かれ構わず食品交換表を厳守するように指導する先生もいます。もちろん、これも「患者中心主義」とは言えないと思います。

なぜなら 糖質制限食もカロリー制限食も、どちらも向き不向きがある指導法だからです。それは「患者を真ん中に置いて考えていない」という意味で「患者中心」では決してありません。こうした考え方に基づいて、私は基礎カーボカウントに基づくテーラーメイド食事指導を提唱しています。私の基礎カーボカウントの考え方は、糖質制限食やエネルギー制限食を否定するものではなく、それらの食事管理では窮屈である、もっと柔軟で自分らしい食生活を手に入れたいと考える多くの人たちの受け皿になることをめざしています

私は甚だ非力ではありますが、医療に「構築主義(構成主義)」の考え方を広めていけたら・・と思っています。

“患者中心”とは、どう患者と向き合うことなのか?

「患者中心医療」について考えをまとめてみました。医療人類学の“illness” の概念など難しい議論は横に置いて、ここに示したような「リアルワールドにおける患者中心医療」について議論する場をもてたら良いなぁと、今感じています。同じA1c、同じBMI、同じ罹病期間、同じ年齢、共通の病態でも、ひとり一人の患者に合わせて治療はカスタマイズされるべきだと思し、それによってアウトカムは決まってくる筈です。
ナラティヴ・アプローチ(NA)について説明する前にまず「伝統的な糖尿病診療」と「患者中心主義」を比較してみたい(表1)。前者はコントロール理論、後者は自己決定理論またはエンパワーメント・アプローチと言い換えることもできます。自己決定理論はインフォームド・チョイスに基づく自己決定を重視します。このため良好な医師-患者関係が必須条件となるので、医師−患者関係が重視されます。これに対して、コントロール理論では医師−患者関係への配慮が希薄である点が大きな相違点と言えます。

 近年、糖尿病診療においてpatient-centered approach、decision-sharing approachによって治療を個別化することの重要性が叫ばれています#2。こうした流れを受けて、我が国においても患者中心医療という言葉が使用されるようになりました。しかし、その内容は米国糖尿病学会(ADA)/欧州糖尿病学会(EASD)合同委員会が提唱する患者中心主義とはやや異なっているように思われます(図1)。両者の違いは、我が国においては年齢、罹病期間、BMI、HbA1cなど統計解析可能な患者の属性を中心に議論されているのに対し、ADA/EASDの提唱する患者中心主義は自己管理能力、動機付けの高さ、社会的リソースの多寡、患者の食文化、人生における優先順位など心理社会的条件を含めた全人医療をめざしている点にあります。すなわち、我が国があくまでエビデンスワールドにしか存在するしない不特定多数の患者の治療について議論しているのに対し、ADA/EASDは「患者は社会的な存在である」ということを前提に、あくまでリアルワールドを生きる個々の患者に最適な医療をめざしていると言えると思います。