良い栄養指導は患者と栄養士の活発な相互作用から生まれる

■「嬉しくなる報告書」と「辛くなる報告書」

最近、紹介先の病院の「栄養指導報告書」を目にする機会がありました。読みながら、残念だなぁと思うところがあったので書いてみます。
栄養指導報告書にはそれを書いた管理栄養士の『視点』が表れます。『視点』というのは「医療者の視点」から書いているのか、「当事者の視点」から書いているのかということです。
医療者の視点、言い換えると「医学的な視点」から書かれた栄養指導報告書の特徴は、
「できなかったこと」が繰り返し強調される。
②「努力したこと」「できたこと」についての記述が少ない。
③したがって、読んでいる僕まで叱られているようで辛い気持ちになります。

一方、当事者の視点、言い換えると「生活者の視点」から書かれた報告書の特徴は、
「できたこと」「努力したこと」がたくさん羅列されています。
患者の努力を喜んでいる管理栄養士の想いが溢れています。
③できなかったことについても「きっと改善してくれる筈」という栄養士の期待感が表明されています。
④したがって、読んでいる僕も嬉しく誇らしくなります。

■この2つの違いはどうして生まれるのか?

医療者の視点から書いている管理栄養士は「正しい知識を教えるのが専門職の役割」と考えているのかも知れません。だから、無意識のうちに「専門職−患者関係」が上下関係になっていることに気づきません。だからどうしても一方通行の指導となりがちです。一方、「当事者の視点」から書いている管理栄養士は「互いに協力し合いながら患者を支援するのが専門職の役割」と考えているのでしょう。だから、自然と活発な情報交換が生まれます。こうした管理栄養士による報告書を読むと、読み手が嬉しくなる理由はおそらく、そこに「管理栄養士と患者の相互作用が働かなければ生まれなかったであろう何か」が含まれているからではないかと思います。

僕は、患者さんが努力したこと、できたことをたくさん見つけて、それを嬉しそうに報告してくれるレポートを読むのが好きです。

“患者中心”とは、どう患者と向き合うことなのか?

「患者中心医療」について考えをまとめてみました。医療人類学の“illness” の概念など難しい議論は横に置いて、ここに示したような「リアルワールドにおける患者中心医療」について議論する場をもてたら良いなぁと、今感じています。同じA1c、同じBMI、同じ罹病期間、同じ年齢、共通の病態でも、ひとり一人の患者に合わせて治療はカスタマイズされるべきだと思し、それによってアウトカムは決まってくる筈です。
ナラティヴ・アプローチ(NA)について説明する前にまず「伝統的な糖尿病診療」と「患者中心主義」を比較してみたい(表1)。前者はコントロール理論、後者は自己決定理論またはエンパワーメント・アプローチと言い換えることもできます。自己決定理論はインフォームド・チョイスに基づく自己決定を重視します。このため良好な医師-患者関係が必須条件となるので、医師−患者関係が重視されます。これに対して、コントロール理論では医師−患者関係への配慮が希薄である点が大きな相違点と言えます。

 近年、糖尿病診療においてpatient-centered approach、decision-sharing approachによって治療を個別化することの重要性が叫ばれています#2。こうした流れを受けて、我が国においても患者中心医療という言葉が使用されるようになりました。しかし、その内容は米国糖尿病学会(ADA)/欧州糖尿病学会(EASD)合同委員会が提唱する患者中心主義とはやや異なっているように思われます(図1)。両者の違いは、我が国においては年齢、罹病期間、BMI、HbA1cなど統計解析可能な患者の属性を中心に議論されているのに対し、ADA/EASDの提唱する患者中心主義は自己管理能力、動機付けの高さ、社会的リソースの多寡、患者の食文化、人生における優先順位など心理社会的条件を含めた全人医療をめざしている点にあります。すなわち、我が国があくまでエビデンスワールドにしか存在するしない不特定多数の患者の治療について議論しているのに対し、ADA/EASDは「患者は社会的な存在である」ということを前提に、あくまでリアルワールドを生きる個々の患者に最適な医療をめざしていると言えると思います。

基礎カーボカウントは薬物療法の最適化とセットで考えるツール

糖尿病食事療法について、我が国では「原則エネルギー制限」と記載されている本が多い。そして、少数派として「カーボカウント」と「糖質制限食」が記載されている。「糖質制限食」の主張が明確で分かりやすいのに対して、「カーボカウント」は執筆者によって、その実践はさまざまで曖昧であるが、以下の3つを挙げることができる。

1)応用カーボカウント、2)食品交換表に準拠したカーボカウント、3)基礎カーボカウント

1型糖尿病患者に対する「応用カーボカウント」は欧米のテキストに準拠しており、1カーボ 10g or 15gの2つの方式があるものの、その実践は欧米のそれと同一である。

次に多いのが「食品交換表に準拠したカーボカウント」であるが、これは食品交換表に準拠した方法であるので、エネルギー管理を前提としたカーボカウントであり、従って、1食の糖質量を一定にするという「基礎カーボカウント」とは大きく異なり、実践的な有用性がきわめて低い。つまり、本質がエネルギー制限食である訳なので、エネルギー制限食の遵守率の低さを担保するというカーボカウントの意義は著しく損なわれてしまっている。そして、第3のカーボカウントが、筆者の主張する「基礎カーボカウント」である。

■基礎カーボカウントとは

エネルギーは[標準体重]×[基礎代謝値]×身体活動指数で求め、患者のBMIや自己管理能力、患者の食文化などを考慮して決定する。そして、このエネルギーから炭水化物比率 50〜60%で[1日の糖質量]を決定し、1食の糖質量を厳格に守ることができるように指導していく。

■基礎カーボカウント指導は「自己決定理論」に立っている。

この際、患者の遵守率を最大にするため、患者の食文化への接近を試み、炭水化物比率は40〜65%程度の範囲で妥協点を求める。すなわち、特定の食事療法のエビデンスに固執することなく、目の前の患者の遵守率が最大となるように柔軟に炭水化物比率を求め、これを支持するエビデンスを用いながら、安全な食事管理の実践を支援する。つまり、医師ー患者関係のスタンスとしては「コントロール理論」ではなく、「自己決定理論」(エンパワーメント・アプローチ)」の立場を取っている。このことが、エネルギー制限食や糖質制限食のように「エビデンス」を重視する食事管理法と大きく異なる。

■基礎カーボカウントを活用する理由

基礎カーボカウントを活用することで、以下のようなメリットが生まれ、薬物療法の最適化プログラムに活用することができる。つまり、患者が遵守しやすい炭水化物比率の基礎カーボカウントと薬物療法最適化プログラムを組み合わせることで、良質な血糖管理を実現することが可能となる。

■薬物療法最適化プログラムによって実現できるテーラーメイド薬物療法

基礎カーボカウントと薬物療法最適化プログラムを活用することで、患者は医師と協力しながら、薬物療法の決定に『参加』することができる。

■最後に

以上、述べたように「基礎カーボカウント」は特定の食事療法(エネルギー制限食、糖質制限食)の遵守を求める立場ではなく、患者の食文化、能力、希望を尊重しながら、柔軟な炭水化物比率に基づく基礎カーボカウントと薬物療法最適化プログラムを組み合わせる柔軟で現実的な実践スタイルと言える。「1型糖尿病にとって、応用カーボカウントがインスリン療法の一部である」ように、「基礎カーボカウントは、2型糖尿病の薬物療法の一部である」ことがご理解いただけたと思う。

人間ドック学会の勇気ある提言を日本の医療文化変革の好機としたい!

■人間ドック学会の提言が専門学会にもたらしたインパクト

2014年4月4日、日本人間ドック学会から「健康診断での基準値についての新しい基準値」が報道されました。これに対して、高血圧学会や動脈硬化学会から反論が発表されていますね。この論争を場外から眺めていると、なかなか興味深いです。健診基準値とそれに基づく生活習慣病予防指導の内容について、多くの疑問を感じていた僕にとって、人間ドック学会が硬直した保健指導の現場に一石を投じてくれたことを高く評価したいと思います。

日本動脈硬化学会の反論は理路整然としていて、ディベート大会であるなら、現時点では優勢に立っていると思います。しかし、「病気」予防を対象に、病人の疫学データを重視する専門学会の立場と健常者の健診の在り方を問う人間ドック学会の立場は根本的に異なります。すなわち、日本動脈硬化学会が「病人」を対象と考えているのに対して、人間ドック学会は「生活者」を対象と考えているのです。この差は大きいです!だから、お互いの主張を理解し合えるまで、議論を尽くすことは大きな意義があるものと感じています。そして、議論によって、お互いの行き過ぎた部分や不足している部分に気づくことを期待しています。

■「診察室」と「保健指導の場」がそれぞれ異なった基準値を掲げるメリット
「診察室文化」と「健診文化」は本質的に異なります。「診察室」では『疾病予防、疾病治療』が中心に語られます。しかし「保健指導の現場」は『人生』を中心に語られる場であって欲しいと思います。身体的な健康だけを優先する保健指導は住民の健診受診率を低下させ、アウトカムの改善には繫がりません。それは「受診者が生活者である」という視点が欠如しているからです。

 保健指導の現場は検査値異常から自分の人生を振り返る場であって欲しいのです。この国に豊かな文化を醸成していくためにも、各種専門学会は日本人間ドック学会を批判するだけでなく、この提言が生まれた背景について考えて欲しいと思います。専門学会と人間ドック学会が真摯な議論を深めることは、日本の医療文化を変革していく好機となるかも知れません。さらに、もしかしたら、2つの学会が異なった判断基準を掲げることで、患者(受診者)に対する異なったアプローチが生まれ、それが疾病のアウトカムや医療者や患者の意識、さらには医療者ー患者関係にもたらす変化を長期的に評価していくことによって、新たな視座を掴む可能性に開かれているような気がしています。

自己決定を医師と共有できない、日本の「お医者様文化」

自己決定・主体性教育における日米の違い

最近、Blogを更新していないので、以前Facebookに投稿したものをアップしたいと思います。

東京衛生病院のDM外来で数名の米国人を担当している。数名の米国人の経験から一般化することは少し乱暴な話だと思うのだけれど、少々興味深い話なので、お許しいただきたい。

治療方針について患者に尋ねたとき、「先生にお任せします」というときの中味が日米の患者で随分異なると感じている。

米国人から「任せるよ」と言われると、僕は喜んでそれぞれの治療法のメリット、デメリットを論じて、自分の考えを薦める。患者は大抵“Ok!”と、僕の提案を承認してくれる。しかし、たまたま注射療法が好みではなかった場合は、両手を挙げて、” Oh No!”とはっきりと態度で示してくれるから、代替案を提示しやすい。しかし、日本人の場合、特に60代以上の昭和文化で育った患者さんの場合はこうはいかない。

こうした「お医者様」文化を身に纏った患者さんが「私には分かりませんから、先生にお任せします」と言ったときは要注意なのだ。僕はその患者さんとの長年の付き合いから、その「お任せします」の意味を嗅ぎ分けて、ときどき「いえ、お任せされても困るんです。これは、あなたに決めて欲しいのです」と返すことがある。

■日米の「お任せします」はどこが違うのか?

患者さんが『自己決定』にコミット(参加、関与)しているか、いないか?という点だと、僕は感じている。日本の患者さんの場合、「お任せします」が、実は「責任放棄」に限りなく近い場合があるのだ。こういう患者さんは自分が予想していなかった展開が起こると、不平不満を言い出す危険性があるのです。真の「お任せします」とは、自分が分かるまで説明を聞いて、しっかりと理解した上で、医師と「決定を共有すること」なのだと思う。

 

患者の生きる意味の多様性を解釈するツールとしてのA1c目標値

「先生、A1cはどこまで下げればイイのですか?」にどう答えれば良いのだろうか?新しい血糖管理目標「6・7・8方式」の実際の運用について、認識論、意味論からまじめに考察してみた。

■はじめに
最近、あるMRさんから「私が訪問している開業医の先生から、A1cがいくつになったら投薬を開始したら良いのか?という質問を受けたのですが・・・」という質問をされた。この質問に対して、形式的に回答するなら、「日本糖尿病対策推進会議編『糖尿病治療のエッセンス』、あるいは日本糖尿病学会編『糖尿病治療ガイド2012-2013 血糖コントロール目標改訂版』を参照して下さい」と答えるのが無難ではないかと思う。しかし、実臨床に即して答えるとなると、この質問に対する回答はかなり難しい。そこで、週末を使って、この素朴な疑問について、考えをめぐらせてみた。

■A1cの目標値を決めることは実はとても難しい
外来診療の場でもしばしば患者さんから同様の質問を受けることがある。「先生、A1cはどこまで下げれば良いのでしょうか?」と。実は、こういうシンプルな質問に答えることが一番難しい。第1、とても素朴な疑問として思うことは、「A1cの目標値を幾つ以下にしなさい」と、他人から、特に医療者から言われることは当事者にとって、とても心外なのではないか?ということだ。だから、僕はいつもこう答えることにしている。「それは、とても難しい問題ですね。それで、あなたはどれくらいを目指したいですか?」と。僕は、A1cの目標値こそ、患者に決めさせるべきだと思っている。医師の役割は患者がその大切な決定を行えるように十分な情報提供を与えることだと考えている。 Continue reading

新しいA1c目標値に期待する:3段階の目標設定を「医師−患者関係」を変革する突破口としたい

2013年5月に発表された「熊本宣言2013」では画一的なA1c値の目標を廃し、個別に決定していくことをめざして、A1c<6%(血糖正常化をめざす際の目標)、A1c<7%(合併症予防のための目標)、A1c<8%(治療強化が困難な際の目標)と、3段階の分かりやすい値に設定された1)。

これまで我が国ではA1c目標値はきわめて画一的に決められ、「A1c値は7%未満であるべきだ」と一方的に治療者から患者に対して要求されている場合が多く、患者の大きな心理的な負担となっていた。そうした医師−患者関係の象徴が糖尿病治療ガイドに掲載されていた【優・良・可(不十分/不良)・不可】という血糖コントロール指標であった2)。こうした点を考慮すると、3段階のA1c目標値設定はまさに糖尿病診療における医師−患者関係の枠組みに変革をもたらす突破口になり得るほどの重要な改正であると、私は3段階の新目標値に大きな期待を寄せている。

ここで問われるのは「A1c値の目標設定を進める際の治療者の患者に対するスタンス」である。A1c値の個別化を進めていくためには患者の病態、社会的背景、動機づけの高さ、自己管理能力などを勘案することが求められる。さらにA1c値を6%ないし7%未満に維持することが患者にとって価値のあることであると理解してもらう必要があるし、A1c 8%未満を目標とすることが、長期的にみて安全で利益をもたらす決定であることを患者に理解してもらう必要がある。

それは医療者にとって、決して容易ではないはずである。そのためには患者の自己決定に対する敬意の念に基づく丁寧な説明が求められるはずである。そして、それこそが3段階の目標設定がめざす真髄であると私は考えている。

【参考文献】

1)日本糖尿病学会編、糖尿病治療ガイド2012-2013、p24〜25、東京、文光堂、2013
2)日本糖尿病学会編、糖尿病治療ガイド2012-2013、p25、東京、文光堂、2012

病態を配慮した糖尿病食事指導:関係性促進モデルに基づく実践例

糖尿病診療における食事療法の意義は以下の2点です。第1に「食事療法は、患者のQOLにもっとも貢献する大切な治療である」、第2に「患者の食事に誠心誠意向き合うことは、糖尿病診療における医師—患者関係の要である」。つまり、食事指導にとってもっとも重要なことは「知識」ではなく、「患者に対するスタンス」なのだと私は考えます。つまり食事指導を、医師が“糖尿病療養指導に不可欠な基本的な構え”を身につけるための訓練の場と捉えてみてはどうでしょうか?食事指導には糖尿病療養指導において求められるすべての要素が含まれています。それ故、食事指導を上手にできるようになった医師はそれだけで良好な医師—患者関係を築くことができるようになったと言えます。食事指導では、なによりも患者がどのような食事を望んでいるかを理解し、共感することがもっとも重要なエッセンスとなります。糖尿病療養指導の極意をひと言で表現するなら「いかに『医学の言語』を『生活の言語』に翻訳するか」にかかっているといえます。

以下に日常診療によくありそうな医師と患者の対話の【失敗例】と【成功例】を例に、食事指導のコツを説明してみたいと思います。 Continue reading