糖質制限食をめぐる議論への違和感

二項対立的な議論でよいのか  

筆者は、Medical Tribune(ウェブ版)がこれまで山田悟氏による糖質制限食の話題を一貫して積極的に取 り上げてきたことに注目してきました。山田氏の文献レビューは、既存の定説に対する卓越した視点に基づ く歯切れの良い主張で、いつも大変興味深く拝読しています。糖質制限食に関する最新の知見を紹介してきた ことで、エネルギー制限食を中核とするわが国の硬直化した食事指導の在り方を見直す機運が高まり、つい に2013年3月、日本糖尿病学会から「日本人の糖尿病の食事療法に関する日本糖尿病学会の提言~糖尿病に おける食事療法の現状と課題~」が発表されるに至りました。

これはわが国の食事療法における重要な一歩であり、「糖質制限食 vs. エネルギー制限食」という議論が もたらした成果であり、Medical Tribuneの山田悟氏の連載がこれに貢献したと評価しています。しかし、食事療法のエビデンスに関する二項対立的な議論が加熱した結果、負の側面も生まれています。それは、食事療 法はエビデンスよりも患者の食の嗜好やライフスタイルを尊重することが重要であるという患者の視点が置 き去りにされたまま、互いを批判し合う”白か黒かの議論”となったことです。

筆者の周囲でも「あなたはエネルギー制限派、それとも糖質制限派?」といった二者択一的な議論がもて はやされていました。糖尿病診療の現場にいる一臨床家として、それはとても残念なことでした。ほとんど の患者はエネルギー制限食も糖質制限食も望んでいないという現実を踏まえ、これからの食事療法に関する 報道はエビデンスだけではなく、もっと患者中心の視点からも行われる必要性があると思います。二項対立的 議論ばかりが報道された結果、一般の読者に混乱を招いています。食事療法のエビデンスを追求するのが研究 者の立場であるとすれば、患者の自己決定やQOLを重視するのが臨床家の立場です。食事療法に関する報道 は、こうした臨床の現場にも配慮して欲しいと思います。

患者中心アプローチ、治療の個別化という大きな流れ

2012年の米国糖尿病学会(ADA)/欧州糖尿病学会(EASD)の意見表明(Diabetes Care 2012;35:1364-1379)では、「患者中心アプローチ」「決定共有アプローチ」という言葉が何度も繰り返 されました。そして、患者中心アプローチは「個々の患者の選択、ニーズと価値を尊重し、それらに敏感で あること」「患者の価値観に基づいて、すべての臨床決定がなされることを保証すること」と定義され、患 者と決定を共有することの重要性を強調しています。その目的はそれぞれの患者の病態、自己管理能力、動機 付けの高さ、ライフスタイル、価値観、社会的リソースなどに配慮して治療の個別化を推進していくことに あります。

食事療法こそ決定共有アプローチが不可欠

2013年の糖尿病食事療法の勧告(Diabetes Care 2013;36:3821-3842)では「個人の好み、文化背 景、生活習慣、治療目標など、糖尿病患者の背景はさまざまなので、個々の患者に合わせて食事指導を行う べきである」とし、「 “このやり方が正しい”と限定するだけの科学的な根拠は不足しているので、重要なこ とは患者の食習慣や嗜好など、患者の生活スタイルに適合していて、長く続けられる食事指導を行うことで ある」としています。

決定共有アプローチというプロセスを重視した診療をめざした場合、エネルギー制限食や糖質制限食を導 入できる患者は極めて少数であることが分かります。なぜなら、ほとんどの患者はこうした食事管理法を望ん でいないからです。

医療における2つのスタンス   医療には2つのスタンスがあります。1つは伝統的な診療スタイルである「コントロール理論」であり、 もう1つは「自己決定理論」です(表、クリックで拡大)。

 

コントロール理論では「医師が患者を管理する」と考えます。それ故、最終的な決定者は常に医師であり、 患者は常に医師の指示を遵守できるかどうかが問われます。これに対して、自己決定理論では「患者が糖尿病 を管理する」と考えられるので、最終決定者は医師の協力を得た患者となります。

つまり、エビデンスを重視する医療がコントロール理論に立脚して患者に遵守を求めがちであるのに対 し、患者中心アプローチはインフォームド・チョイスに基づいた決定共有を大切にするアプローチであるこ とがご理解いただけると思います。エネルギー制限食 vs. 糖質制限食という二項対立的議論がもたらした最大 の弊害は、エネルギー制限や脂質制限といった従来の食事管理法を強く否定し、あるいはSU薬、DPP-4阻害 薬といった薬物療法まで強く否定して、糖質制限を強要する医療者を一部に生み出したことです。糖尿病の病 態の不均質性や、現実の多義性を全く理解せずに糖質制限を強要する糖質制限原理主義は、排除されなけれ ばならないと感じています。

患者中心アプローチの実践ツールとしての基礎カーボカウント

ここからの筆者の主張はコントロール理論に立脚した食事療法の議論ではなく、決定共有アプローチとい う視点から食事療法について提言をすることです。わが国の食事療法にはエネルギー制限食と糖質制限食の2 つしか選択肢が存在しません。それは食事療法に関する研究が、主に食事摂取量や三大栄養素比率に焦点を 当てて行われてきたからです。しかし、リアルワールドで最も重要なことは患者中心の視点に立って、食事療 法の個別化を推進していくことであるという点に異論を唱える人はいないはずです。ADAの食事療法の勧告 (Diabetes Care 2014;37:S1204-S1213)には「炭水化物比率は患者の食生活内容や嗜好に合わせて患 者と協力しながら目標を決めていくべきであること」、さらに「炭水化物摂取量をモニタリングすることは 血糖管理を達成する重要な方法である」ということが明記されています。

これは、これまでの食生活の内容(エネルギー摂取量や炭水化物比率)や患者の自己管理能力を正確に評

価し、患者にさまざまなオプションを提示しながら、患者にとって実行可能な食事計画を立てることを意味

しています。決定共有アプローチとはこうしたプロセスを踏むことであり、『基礎カーボカウント』はまさに

このような実践に最適な食事管理法と言えます(図、クリックで拡大)

2016年10月20日、Medical Tribune誌へ寄稿したものです。