生物医学的な側面ばかりを強調する食事情報には注意が必要

日本には古くから“お任せ医療”と呼ばれる文化がありました。それは、患者は医学的なことは分からないから、治療を医者に丸投げしてしまうことを指します。しかし、近年 インフォームド・コンセント(説明と同意)の普及や患者の権利意識の向上によって、日本の医療は大きく変わりつつあります。特に毎日の食事管理や運動によって血糖管理、体重管理が患者に委ねられている糖尿病治療では「医師が患者を管理し、すべてを決定する」という伝統的な診療スタイルから「患者が糖尿病を管理する。それ故、医師は患者を支援し、すべての決定を患者と共有する」という患者中心医療へシフトすることが必要です。近年、米国糖尿病学会/欧州糖尿病学会は毎年発表する声明の中で「患者中心医療」の重要性を強調しています。しかし、日本にはまだまだ「医者が患者を管理する」という伝統的な診療スタイルが根強く残っていて、その結果、医師から「カロリー制限」や「糖質制限」を強いられて、苦しんでいる患者さんがたくさんいます。

1990年代から世界の医療は大きく変わりました。それは医師の主観や経験だけでなく、臨床疫学研究に基づく根拠に基づいて医療を行おうとする取り組みで、根拠に基づく医療(Evidence Based Medicine:EBM)と呼ばれています。そして、実はこうした根拠に基づく医療が皮肉にも、医師が患者を管理しようとする医師中心主義の診療実践の理論的根拠となっているのです。しかし、EBM提唱者たちの本来の定義をみると「患者の希望に基づいて、現在得られる最良の根拠を、良心的に思慮深く用いること」と記載されています。現在の食事療法に纏わる論争は「患者がどのような食事を望んでいるか」という大切な前提が無視された“患者不在の論争”が繰り広げられているようで残念でなりません。糖質制限食が良いか、エネルギー制限食かという議論と平行して、さまざまな糖尿病患者の食文化、ライフスタイルに対して、こうしたエビデンスを如何にして食事指導に活用していったら良いか?についての議論を重ねていく。そして患者が食事に何を望んでいるのか?から始まる議論が求められています。こうした目的にもっとも適した実践方法が僕が力を入れている「基礎カーボカウント法」という食事管理法です。

“患者中心”とは、どう患者と向き合うことなのか?

「患者中心医療」について考えをまとめてみました。医療人類学の“illness” の概念など難しい議論は横に置いて、ここに示したような「リアルワールドにおける患者中心医療」について議論する場をもてたら良いなぁと、今感じています。同じA1c、同じBMI、同じ罹病期間、同じ年齢、共通の病態でも、ひとり一人の患者に合わせて治療はカスタマイズされるべきだと思し、それによってアウトカムは決まってくる筈です。
ナラティヴ・アプローチ(NA)について説明する前にまず「伝統的な糖尿病診療」と「患者中心主義」を比較してみたい(表1)。前者はコントロール理論、後者は自己決定理論またはエンパワーメント・アプローチと言い換えることもできます。自己決定理論はインフォームド・チョイスに基づく自己決定を重視します。このため良好な医師-患者関係が必須条件となるので、医師−患者関係が重視されます。これに対して、コントロール理論では医師−患者関係への配慮が希薄である点が大きな相違点と言えます。

 近年、糖尿病診療においてpatient-centered approach、decision-sharing approachによって治療を個別化することの重要性が叫ばれています#2。こうした流れを受けて、我が国においても患者中心医療という言葉が使用されるようになりました。しかし、その内容は米国糖尿病学会(ADA)/欧州糖尿病学会(EASD)合同委員会が提唱する患者中心主義とはやや異なっているように思われます(図1)。両者の違いは、我が国においては年齢、罹病期間、BMI、HbA1cなど統計解析可能な患者の属性を中心に議論されているのに対し、ADA/EASDの提唱する患者中心主義は自己管理能力、動機付けの高さ、社会的リソースの多寡、患者の食文化、人生における優先順位など心理社会的条件を含めた全人医療をめざしている点にあります。すなわち、我が国があくまでエビデンスワールドにしか存在するしない不特定多数の患者の治療について議論しているのに対し、ADA/EASDは「患者は社会的な存在である」ということを前提に、あくまでリアルワールドを生きる個々の患者に最適な医療をめざしていると言えると思います。