患者さんを真ん中に置いて考えると食事指導はもっと柔軟で楽しくなる

■医療における「本質主義 vs 構築主義」の対立

医療におけるもっとも厄介な問題は「本質主義 vs 構築主義」の対立ではないかと思います。この2つのスタンスは思考様式、つまりPCで言えばOSのようなものなので、話し合っても理解し合うことが極めて難しい相違です。だから、厄介なのです。

本質主義(構造主義)とは

「この世界にはすべてに当てはまる法則なり構造がある。つまり、正解はひとつだけである」という考え方であり、

構築主義(構成主義)とは

「社会に存在する事実や実体は人々の感情や意識の中で創りあげられたものであり、それを離れて存在しない」とする社会学の立場で、分かりやすく言えば、答えは1つだけではなく、観点を変えれば、いくつも正解は存在するという考え方です。

そして、医療者にはときどき筋金入りの「本質主義者」がいます。エビデンス、臨床疫学にもの凄く厳格な先生の中にときどき「ガリガリの本質主義者」がいて、物事は「白か黒か」、「正しいか、誤りか?」という考え方をします。特にバリバリの糖質制限食主義者、バリバリの食品交換表主義者の中には「本質主義者」が多いように思います。

■「エビデンス中心」から「患者中心」へ

糖質制限食のエビデンスに心酔して、誰でも彼でも、血糖管理不良の患者さんに糖質制限食指導をする先生も結構いますよね。でも、そういう指導法は少なくとも「患者中心主義」であるとは思えません。それは「エビデンス中心主義」です。エビデンス中心主義」を「患者中心主義」と勘違いしている人は以外に多いです。これは2月2日の『患者中心主義とは、どう患者と向き合うことなのか?』の中でも述べたように「コントロール理論」というスタンスを持っている医療者が多いからだと思います。

また同様に、血糖管理不良の患者さんには誰かれ構わず食品交換表を厳守するように指導する先生もいます。もちろん、これも「患者中心主義」とは言えないと思います。

なぜなら 糖質制限食もカロリー制限食も、どちらも向き不向きがある指導法だからです。それは「患者を真ん中に置いて考えていない」という意味で「患者中心」では決してありません。こうした考え方に基づいて、私は基礎カーボカウントに基づくテーラーメイド食事指導を提唱しています。私の基礎カーボカウントの考え方は、糖質制限食やエネルギー制限食を否定するものではなく、それらの食事管理では窮屈である、もっと柔軟で自分らしい食生活を手に入れたいと考える多くの人たちの受け皿になることをめざしています

私は甚だ非力ではありますが、医療に「構築主義(構成主義)」の考え方を広めていけたら・・と思っています。

“患者中心”とは、どう患者と向き合うことなのか?

「患者中心医療」について考えをまとめてみました。医療人類学の“illness” の概念など難しい議論は横に置いて、ここに示したような「リアルワールドにおける患者中心医療」について議論する場をもてたら良いなぁと、今感じています。同じA1c、同じBMI、同じ罹病期間、同じ年齢、共通の病態でも、ひとり一人の患者に合わせて治療はカスタマイズされるべきだと思し、それによってアウトカムは決まってくる筈です。
ナラティヴ・アプローチ(NA)について説明する前にまず「伝統的な糖尿病診療」と「患者中心主義」を比較してみたい(表1)。前者はコントロール理論、後者は自己決定理論またはエンパワーメント・アプローチと言い換えることもできます。自己決定理論はインフォームド・チョイスに基づく自己決定を重視します。このため良好な医師-患者関係が必須条件となるので、医師−患者関係が重視されます。これに対して、コントロール理論では医師−患者関係への配慮が希薄である点が大きな相違点と言えます。

 近年、糖尿病診療においてpatient-centered approach、decision-sharing approachによって治療を個別化することの重要性が叫ばれています#2。こうした流れを受けて、我が国においても患者中心医療という言葉が使用されるようになりました。しかし、その内容は米国糖尿病学会(ADA)/欧州糖尿病学会(EASD)合同委員会が提唱する患者中心主義とはやや異なっているように思われます(図1)。両者の違いは、我が国においては年齢、罹病期間、BMI、HbA1cなど統計解析可能な患者の属性を中心に議論されているのに対し、ADA/EASDの提唱する患者中心主義は自己管理能力、動機付けの高さ、社会的リソースの多寡、患者の食文化、人生における優先順位など心理社会的条件を含めた全人医療をめざしている点にあります。すなわち、我が国があくまでエビデンスワールドにしか存在するしない不特定多数の患者の治療について議論しているのに対し、ADA/EASDは「患者は社会的な存在である」ということを前提に、あくまでリアルワールドを生きる個々の患者に最適な医療をめざしていると言えると思います。